樹林氣功の念い(1)

樹林気功と聞くと、何を思い浮かべるだろうか。

樹木を相手に気功? 森から元気を頂く?

多くの人が、そんな事を思い浮かべるのではないだろうか。

私自身、樹遷さんと出会う迄はその程度に考えていた。

だが、樹遷さんの唱える『樹林氣功』はもっと大きく、豊かないのちの根源に触れるものだった。

初めて樹林氣功に参加した時の、このなまみに響く喜び、感動は今でもありありとこの身に、心の深くに残っている。

「氣功は、あくまでも手立てです。その先にある『いのちひとつらなり』の風景を味わって頂けたら….」 森に入る前にいつも樹遷はそう語られていました。

「森にはあらゆるいのち達が多様に生きあっています。色々な種類の樹木たち、まっすぐ伸びているもの、曲がっているもの、大木もあれば、木漏れ日の下ひっそりと根を張っている低木たち、下生えの草たち、地衣類。更には、森を住み処としている鳥さんたち、けものさんたち、昆虫さんたち。また目にふれることはないけれど、樹木や草たちが根を張っている土壌には無数の生きもの、微生物さんたちが。人はつい大きな木、古木にばかり目が行きがちですが、これらのすべてのいのちに優劣はありません。これらのすべてのいのちが支え合い、生きあうことで森は成り立っています。多様性ということが大切と今日云われていますが、まさしく森には多様性そのものの風景が在ります。そこからいのちの豊かさ、ひとつらなりのいのちの風景を学ぶ手立てが樹林氣功なんです。」というお話に、直感的にこれだ!というものを感じ、樹遷さんの語る『いのちひとつらなり』をこの身で感じたく、樹遷さんに従って多くの森に入らせて頂いたこと、つい昨日のように思い出します。

「樹林氣功では、森に入る前に、必ず自らを調える按摩功ということをします。森もひとつのいのちです。生きているのです。ずけずけと入ってこられたらどうでしょう。皆さんご自身の身に置き換えてみて下さい。」と云われてはっとしたこと。

「いのちというものは、お互いに敬い合うもの、先ずは入らせて下さいという心をもつこと、そして人に会う時はご自分の身だしなみを整えるように、森に入るときも自らの氣を調えること、それはいのちといのちが同じ地平で向き合っているということの基本です。」そんなお話に頭をガツンと打たれた覚えがあります。

世間では、森林浴とやら、森に入り、森から元気、エネルギーをもらおうという、人の一方的な行為がブームになっていますが、そのような有り様とは真逆の、でもとても大切なメッセージ、まなざしの持ち方がここにはあると思うのです。(つづく)

樹伯 記

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