樹林氣功の念い(3)

樹遷さんは、「私たちが杜を見ているだけではなく、杜も私たちを見てくれているんだよ。」と、或る時おっしゃいました。

その意味が、最近少しづつわかってきたように思います。

 

杜は、いつも私たちに自然のなんたるか、いのちの本来の風景を見せ続けてくれています。どうすれば、その杜のまなざしを感得し、いのちの本来の風景を感じ取ることができるのでしょう。

その手がかりが、なまみの哲学とも云われる樹林氣功にあります。

言葉による説明より、共に杜に立ち交じってみませんか。頭でなく、なまみで感得したものこそ真の智恵ではないでしょうか。

都市生活、社会というものはいわば、人がいかに人間に都合よく、快適に生きるかと脳を使って作り上げた人口の世界。そこから人は、全てのものは管理できるという幻想を抱いてしまったのが現代のように思います。

ですが、近年の数多くの災害が示す様に、自然は管理できるものという人間の幻想、傲慢を、災害はそうじゃないんだよと私たちに諭してくれているようです。

また、昨今のヘイトスピーチなどに見られるように、社会に以前より差別や、偏見、非寛容があからさまに満ち満ちてきているように思います。

こうした状況の中、「みどりといやし」、「いのちひとつらなり」という樹林氣功の念いは、これからの時代にとても大切な根源的な解決への智恵と手立てを提案していると杜から語りかけられているように思います。

 

以上が、この30年、樹林氣功を通して見開かせて頂いた風景です。

少しでも、樹林氣功の念いがこの文章を読んで頂いた方々に伝わればと願いつつ。 了

樹伯 記

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